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東京高等裁判所 平成7年(ネ)886号 判決 1995年9月05日

控訴人・附帯被控訴人(以下、控訴人という。)

甲野一郎

被控訴人・附帯控訴人(以下、被控訴人という。)

新大阪新聞株式会社

右代表者代表取締役

榎本仁臣

右訴訟代理人弁護士

巽貞男

泉秀昭

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  附帯控訴に基づき、原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。

控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、第二審とも控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を次のとおり変更する。

2  被控訴人は、控訴人に対し、金一〇〇万円及び内金五〇万円に対する昭和六〇年一一月三〇日から、内金五〇万円に対する昭和六二年七月九日から、各完済まで年五分の割合による金員を支払え

二  被控訴人

主文第一、二項と同旨

第二  事案の概要

事案の概要は、次に記載するほかは原判決と同じである。

(控訴人の主張)

原判決は、「甲野ついに自供!」「すし職人に殺人依頼」等の見出しを付した本件一記事及び「甲野、殺人シナリオ解明」「あぶら汗死刑の恐怖」「白石さん事件でも有力手がかり」等の見出しを付した本件二記事が控訴人の名誉を毀損するものであると認定しながら、賠償額を各一〇万円合計二〇万円であるとした。しかし、本件各記事による控訴人の名誉侵害の賠償額が各一〇万円であるとするのは、現在の価値観、貨幣価値や、本件各記事が本紙の一面に大々的に掲載されたものであり、発行部数が一日約五万部もあり、控訴人は未だ刑事事件については確定判決を受けていないのに、控訴人が殺人犯人であるとの印象を強烈に与えるものであって、その違法性が極めて高いこと等からみると、低額に失する。

(被控訴人の附帯控訴の理由)

1  控訴人の享受すべき社会的評価

本件各記事が掲載されたのは昭和六〇年一一月三〇日及び昭和六二年七月九日であるが、控訴人については昭和五九年一月の週刊文春の「疑惑の銃弾」と題する記事以来おびただしい質、量の報道がなされていた。

ところで、一方、控訴人も、当時多くの雑誌や新聞、テレビのインタビューに答え、人生相談のコーナーを連載して自らの人生観を語るなど、すすんでマスコミに登場していた。

控訴人が、このように社会的に注目されるに至ったのは、ロス疑惑、すなわち控訴人が保険金殺人を犯したのではないかという疑惑があったためであるが、控訴人は、当時「疑惑人」と評された自己の肩書によって頻繁にマスコミに登場しており、その言動は、自己の犯罪についての報道に基づく社会の注視を自ら利用しているともいうべきものであった。

控訴人は、ロス疑惑と称される一連の事件のうち、いわゆる殴打事件で昭和六〇年九月逮捕され、同事実について昭和六二年懲役六年の判決を受け、同判決についての控訴は平成六年棄却されている。また、いわゆる銃撃事件でも昭和六三年逮捕され、平成六年三月無期懲役の判決を受けており、本件各記事が報じたロス疑惑について、控訴人に対し、確定していないにしても、すでに有罪判決があることは、控訴人が享受すべき社会的評価について十分に考慮すべきである。

本件一記事は、控訴人が殴打事件で逮捕された二か月後、本件二記事は、殴打事件の一審有罪判決の約一か月前で、かつ銃撃事件の捜査進行中にそれぞれ掲載されたものであり、当時の控訴人に関する報道、これに対する控訴人の言動及びマスコミに対する対応、刑事事件の推移等に鑑みるとき、控訴人の社会的評価は、本件各記事掲載当時相当程度低下しており、本件各記事による新たな控訴人の社会的評価の低下はほとんど存在しないというべきである。

2  控訴人の損害

控訴人は、平成五年六月ころに知人から送付されたことにより本件各記事の存在を知ったと主張しており、そうであれば、本件各記事掲載当時には、控訴人にその主張のような精神的打撃、苦痛等はなかったといえる。

そうすると、控訴人が本件各記事を知ったとする平成五年六月ころに控訴人がいかなる社会的評価を受けていたかが検討されなくてはならないが、当時すでに控訴人は未確定であるが有罪判決を受けており、その社会的評価は著しく低下していたもので、控訴人についての損害は存在しないというべきである。

3  権利の濫用

控訴人は、自らの報道記事について、極めて多数の損害賠償請求訴訟を提起しており、訴訟提起の経過や手段、方法からみると、控訴人は、自らについて報道された記事をあえて物色し、単に金銭取得の手段としているのではないかとの印象を受けざるをえず、もはや法の予想を超える訴訟形態となっていて、その請求は正当な権利の行使とはいえず、権利の濫用というべきである。

第三  当裁判所の判断

一  名誉回復と損害賠償

本件は、被控訴人発行の新聞により控訴人の名誉が侵害されたとして損害賠償の請求をするものである。

一般に名誉毀損を理由としてする民事訴訟の請求は、低下した名誉の回復を判決により求めるという名誉回復の請求と、名誉の低下により被った精神的な損害の賠償を求める請求とを含むものであり、その請求の趣旨として、謝罪広告等の原状回復を求めず、損害賠償のみを求めるものであっても、このことに変わりはない。そして、本件の請求もそのような趣旨のものと解される。

しかし、本件の場合、右のような名誉回復及び損害賠償のいずれの請求もこれを認容することのできないものである。

二 名誉回復請求の当否

すなわち、まず名誉回復の請求についてみると、控訴人は、昭和六〇年一一月三〇日及び昭和六二年七月九日の被控訴人発行の新聞で控訴人に関する本件記事が掲載された後、次のような有罪判決を受けている(当裁判所に明らかな事実)。

昭和六三年八月七日一美さん殴打事件につき控訴人有罪の一審判決

平成六年六月二二日右事件につき控訴人有罪の二審判決

平成六年三月三一日一美さん銃撃事件につき控訴人有罪の一審判決

控訴人の名誉が本件記事が発行された当時これによりある程度毀損されたことは認められないわけではない。しかし、本件記事の発行時からすでに八年ないし九年経過した現在では、遠い過去の新聞記事の内容が一般国民の記憶にとどまっているとはいい難く、控訴人の社会的評価は、その後に生じたさまざまな事柄により影響を受けて形成されているものというべきであり、特に前記のような控訴人に対する有罪判決がなされている現在の時点では、控訴人の名誉すなわち社会的評価は、本件記事の新聞報道によって低下しているというよりは、このような有罪判決が出されたこと自体によって低下しているものというべきである。このように控訴人に対する社会的評価が、有罪判決のようにより影響力のある事柄によって形成されており、遠い過去の新聞記事は一般国民の記憶の外におかれて控訴人の社会的評価に影響するところがほとんどない状況のもとでは、その過去の新聞記事による社会的評価の低下を回復する裁判をすることは無意味であり、そのような裁判を求める請求を認容することができない。

そして、控訴人を有罪とする判決がありそれに対する上級裁判所の審理が行われている状況の下で、これとは別に控訴人と被控訴人との間の民事訴訟において、控訴人が無罪であるかどうかを審理し裁判することは、犯罪事実に対する裁判所の統一した判断を形成し、一般国民の評価認識の基準を明確ならしめるという刑事裁判制度の役割を否定することにつながりかねないのであって、右のような無意味な請求のために、このような審理判断をすることは相当ではない。

したがって、本件新聞記事が発行された当時これによる名誉の低下があったとしても、その後長期間経過して一般国民の当該記事の記憶が薄れている状況があり、さらにその記事の中核部分である控訴人の犯罪の有無について、前記のような有罪判決がありその上級審の審理が進められている現状のもとでは、当該記事による名誉の低下につきその回復を図る趣旨の請求を認容することは、意味のないものであるばかりでなく有害なものであって、許されないものといわねばならない。

三 損害賠償請求の当否

次に控訴人が被控訴人の前記の記事により、名誉低下を原因とする精神的な損害を被っているかどうかについて検討する。

控訴人が本件と同様の名誉毀損訴訟を本件と同様に新聞発行後七ないし八年経過した時点で提起している事例のあることは、当裁判所に顕著であるが、それらの事件では相手方より時効の抗弁が出され、控訴人は、これに対し当該新聞記事を初めてみたのが訴訟提起の直近であり、その時点から起算すると時効は完成していないと主張している。これらの事例から見ると、被控訴人発行の本件記事を控訴人が初めて見たのは、その発行の時期ではなく、本訴提起(平成五年及び平成六年)に近接した時期であったと認められる。そうすると、控訴人が本件記事によりなんらかの精神的苦痛を受けたとしても、それは本件記事による社会的評価の低下自体に直面してこれによって被った精神的苦痛ではなく、遠い過去の時点に被控訴人の名誉を傷つける記事があったことを認識したことによる不快という程度のもので、一般の名誉毀損訴訟で主張される精神的損害とは著しく趣を異にするものであるといわねばならない。そして、控訴人については、すでに見たとおり、一連の有罪判決があり、控訴人の社会的評価はこれにより大きく低下しているが、それによる控訴人の精神的損害は本件の賠償の対象となるものではないのであり、また、被控訴人のような一地方紙にまで本件のような記事が記載されるに至ったについては、証拠(乙八ないし一三)によれば、控訴人が、その妻を銃撃による犠牲者とされた悲劇の主人公として、自らを報道機関に売り込み、疑惑を指摘された後も報道番組や雑誌等に積極的に登場してきた控訴人自身の対応ぶりによることが大きいと認められる。そうすると、控訴人が本件記事の閲読により過去の時点での自己の社会的評価の低下を認識したことにより、賠償に値する精神的な損害を被ったとみることは、事柄の性質に合致せず、事態にそぐわないものといわねばならない。

そして、精神的損害の賠償とはいえ、これを認容することは、名誉毀損の訴訟が名誉回復の請求を含んでなされるものであることからすると、控訴人を無罪としてその名誉を回復したものとの印象を世人に与えることは否みがたく、有罪判決が出されその上級審の審理がなされている現状のもとでは、これとは別に控訴人と被控訴人との間の民事訴訟において、控訴人が無罪であるかどうかを審理し裁判することが相当といえないことは、名誉回復の請求に関して述べたところと同様である。

そうすると、控訴人が前記のような有罪判決を受けている現状のもとでは、控訴人がその後に本件記事を閲読したことにより賠償に値する精神的損害を受けたとはいえず、その損害の賠償を求める控訴人の請求も理由のないものといわねばならない。

四  結論

よって、本件控訴は理由がないから棄却し、被控訴人の附帯控訴は理由があるから、原判決中被控訴人敗訴部分を取り消し、控訴人の請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官淺生重機 裁判官田中壯太 裁判官杉山正士)

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